| 当時早稲田大学4年生であった宮瀬英治が
大学を1年間休学しアジア各国にて国際協力活動を実施。
その中で一人であることの無力感を感じるものの、
「苦しむ子どもたちへの優しい追い風になりたい」 という強い志から、
1999 年 12 月、風の会が早稲田大学での国際協力団体としてスタートしました。

その後、有志の団体という枠を超え、
国際協力 NGO としてさまざまな問題にぶつかりながらも、
共通の思いを持つ学生や若手社会人が協力し、
そして何よりも多くの人々に支えられ、
現在の国際協力 NGO 「風の会」が成り立っております。

2008 年 4 月現在、東京・岡山・福岡・愛知・山口・関東の活動拠点を持ち、
アジア中東各国の地域とも連携・協力しながら、
世界各国で苦しむ子どもたちの自立の追い風になるべく活動をしています。
【対象エリアおよび活動概要】
@カンボジア(ノリア孤児院、ロムチェック村⇒自立教育支援、学校建設)
Aアフガニスタン(ジャララバード⇒国境難民キャンプ協力)
Bスリランカ(ゴール市郊外⇒津波被災学校支援、被災住民生活支援)
Cイラク(サドルシティ⇒学校教育支援、医薬品支援)
※なお、こういった経緯により設立された国際協力 NGO 「風の会」は
特定の団体や政治団体、宗教団体とは一切関係はございません。
--風の会設立の想い--
「平和への手紙」寄稿文
宮瀬 英治
ある所に一人の若者がいました
彼には憧れの人物がいました
”すごいなぁ”といつも心で感じていました
でも
ある時、彼は気づきました。
憧れを憧れのままにしていたことを、近づこうともしていなかったことを
思いを胸に描くだけでなく実際に行動することの意味の深さを
そして彼は悩みにくれました。
現実は厳しく様々な壁が立ちふさがっていたのだと思います
悩みが彼の右目の角膜を破き、ただただ伏せる日々が続きました
でも不思議なことに見えないはずの彼の右目の先に見えたのは、
眩いばかりの可能性でした
「苦しんでいる人を救いたい、世界を平和にしたい」
そういって、彼は世界にとびだしました
1年という月日でした
彼は我武者羅に進みました
12の国で、ただただ我武者羅に
ある国では学校の建設現場で汗を流し
ある国では井戸を掘りました
また、ある国では孤児院で日本語教師をし
ある国では植林作業をしていました
そんな国々の中で彼にはどうしても忘れることができぬ出来事があります
ある国では身分制度に苦しむ人々がいました
死を待つしか術のない人々のホスピスで働く彼にとって
彼の目の前で終えた一つの人間の命は
やせ細った死体の軽さと同様、あまりに儚ないものでした
人が死ぬということがあまりにも簡単すぎました
ある国で大きな地震がありました
泣き叫んでいる人々の姿が彼を現地へと向かわせました
瓦礫の撤去を続ける中、夫を亡くした幼い母が
「この子がいるから生きていく」
そう我が子を抱きしめながら、夕暮れの町に消えていきました
彼はただただその長い影を遠くに見ながら
時折涙がこぼれそうになるのを必死にこらえました
ある国では母親をエイズで亡くし、自らも売られる子どもがいました
自身も母親から感染していました
でもそこには人へ優しさを忘れない瞳がありました
そして日に日にやせ衰えていく姿に
彼はその子どもの名前を覚えてあげることしかできませんでした
ただただそれだけしか
・・・そして旅が終わりました
帰国後、彼は無力感に打ちのめされました
いくつも見殺しにしてきた現実
何度も彼の目の前を通り過ぎていった絶望と悲しみ
「世界だ」「平和だ」と、どんなに偉そうなことを言って
日本を飛び出してみてもどうにもならない現実
彼には一人の子どもすら救うことはできませんでした
彼は日本でそんなことを考えながら、毎日遠くを眺めていました
いまだその手に残るあの死体のあまりの軽さと
月日が流れても鮮明に心に残り続ける様々な光景とともに・・・
やがて自分の傲慢さと一人の力の弱さに気づいたときに
いや、むしろ様々な現実に対して
それを真正面から受け止めたときに、はじめて
彼はまた一歩を踏み出そうと決意しました
彼にはどうしても何かを捨て切れなかったのだと思います
”一人の力は弱くとも、一人からの可能性を信じたい”
そんな一人からのスタートでした
そして彼には志を共にする仲間ができました
・・・それから何年の月日が過ぎたのでしょう
誰が何と言おうと譲れない何かがあり
行動の伴わない評論を忌み
一歩一歩と歩を進め
現実という壁に立ち止まる
もがいて苦しんで諦めそうになりながらも
信じてくれている人たちがおり
やはり諦め切れずに泥にまみれる
その先に感動があって譲れない気持ちがまた少し強まり
そしてまた苦しむ・・・
そんなことを繰り返しながら彼は前に進みました
時には後ろを向き、何度も転びながら、そのたびに立ち上がり
そして彼はやはり一人じゃないということに気づくのです
「仲間がいてくれる」
人は一人では泣くことしかできないけど、二人なら笑い合える
そのことが彼の心の無力感を少しだけ救ってくれます
でも依然彼の胸の中の無力感はなくなりません
あの時のあの子はどんなにあがいてももう戻りません
でもそれでいいんだと思いました
その無力感こそが前に進む力となる
迷いそのものが悔いを残さぬような選択を導き
苦悩こそが今日今あることの有難さを教えてくれる
本当の寒さに震えることがぬくもりの暖かさに気づかせてくれる
自分を支え人を守れる強さを身につけるということは弱さそのものを知ることでした
だからこそ
”あるがままに”と
人の喜びも悲しみもすべてを包みながらゆらゆらと流れる時の中で
生きることの意味も死ぬことの答えも
流れる涙もこぼれる笑顔も
あるがままに
そう彼は思うのです
「平和とは何か」
それは彼にとってはそれはどうでもいいことなのかもしれません
言葉をもてあそんでも意味がないし
それは単なる言葉に過ぎないと思えてならないからです
私たちが使う戦争という言葉にリアリティがないように
平和という言葉が本当に何を意味するのだろうと彼は思うのです
ただただ目の前にいる人のために精一杯やっていく
一人ひとりと向き合い進んでいくしかないと
それは一人ひとりが幸せにあること、一つひとつの笑顔がかけがえのないこと
その一つ一つの実感こそが大切なんだということ
”本当にこの人のために自分にできることは何だろう”
「風」
風というのはとらわれず、あるがままに、どこまででもゆくことができます
風がふけば種が舞い、大地へと導き
やがてその種がひとつの花を咲かせます
だから彼は心に強く誓うのです
”たとえ小さくとも確かな情熱と愛で一人ひとりの背中を支える追い風になろう”と
稚拙なことを言っているのかもしれません
自分に酔っているのかもしれません
きっとそれは彼自身にもわからないでしょう
ただわかるのは
彼にとってはそれが誰が何と言おうとも譲ることのできない自分だけの真実であり
そのことを彼自身の背中で示し続ける
そしてそこから生まれる事実だけがそれを証明し続ける・・・
そんなことなのかもしれません
ある所に一人の若者がいました
イラクという大地にささやかな
でもきっと確かな風が吹くのかもしれません
人間 宮瀬英治
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