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宮瀬英治のメディア掲載情報

2004年3月 読売新聞

▼宮瀬英治のイラクにおける活動と中学生に対する授業が紹介されました。

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イラクの子供たちを勇気づけようと、文京区第十中学校(千石2、中村馨校長)の生徒らが、 市民団体を通じてイラクの首都・バグダッドの中学校に絵を贈った。
そのお礼の絵とメッセージがこのほど届き、 17日の授業で同校の生徒たちに報告された。両国の同世代の子どもたちが言葉の壁を超えて、国際交流への一歩を踏み出した。

交流を仲立ちしたのは、早稲田大学の学生サークルを母体に発足した市民団体「国際協力風の会」。同会は、カンボジアやイラクなどの子どもたちの医療、教育支援に取り組む。同校では「生徒が国際社会に目を向けるきっかけにしてほしい」と2003年3月から同会の協力を得て、カンボジアの現状報告などを授業に取り入れている。

2005年 朝日新聞

▼宮瀬英治の中学校への出張授業が掲載されました。記事はこちらからどうぞ

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イラクの子どもたちにノートや鉛筆を送る活動を続けている東京都内の男性会社員が16日、藤沢市の中学校の生徒たちに、イラクの子どもたちが 書いた手紙や絵を届けた。1年ほど前、この中学の生徒たちが送った手紙への返事だ。

藤沢市第一中学校を訪れたのは、東京都板橋区の宮瀬英治さん(29)。教育系出版社で広告の営業担当。
会社のボーナスを充てて、バグダッドの4つの小中学校に、毎年約3万冊のノートや 2万5千本の鉛筆、医薬品を送る活動を2年前から続けている。

04年暮れに、宮瀬さんは一中の3年生がイラクの子どもたちに向けて書いた40通ほどの手紙を携え、 ヨルダンを訪れた。活動に協力しているイラク人を通じて、バグダッドに届けてもらった。
バグダッドを訪れた前の年に現地の学校の校長の1人から「子どもたちを元気づける方法はないか」と頼まれた。
帰国後、知人を通じて紹介してもらったのが、一中の佐々木柿己校長だ。

佐々木校長は快く引き受け、生徒たちは「友だちになろう」「大変でしたでしょうが、がんばって」 「LOVE&PEACE」といった手紙を書いた。世界平和を願った、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を 英語で書いた生徒もいた。

宮瀬さんは、この日、イラクから戻ってきた80通ほどの手紙を学校に届けた。「助けてくれてありがとう」と 書かれたアラビア語の手紙には、民主化に期待するように、投票箱にイラクの国旗を投じている絵が書かれていた。

戦時下を表すように、ヘリコプターが飛ぶ中、車や建物が燃え、人が血を流して倒れている絵もあった。
「実際に目にした光景なのだろう。子どもが負った精神的なダメージを感じる」と宮瀬さん。

宮瀬さんは1年生の生徒を前に、現地で撮影した写真を見せながら、イラクでの体験を語った。
イラク人スタッフからの「平和に暮らせることの尊さを知り、イラクの友達のことを忘れないで」との メッセージも読み上げた。

1年3組の川鍋夏生さん(13)は「イラクは、すごく遠いのに、つながっているんだなと実感できた」と 感想を語った。

佐々木校長は「教科書ではわからないことを学ぶ、いい機会になった。生徒たちには、同じ年代の若者として 人の痛みに目を向けてほしい」と話していた。

2004年2月11日 朝日新聞

▼宮瀬英治の岡山での授業が掲載されました。

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東京や岡山を拠点に、アジアや中東の子どもを支援している国際協力団体「風の会」会長で会社員の宮瀬英治さん(27)=東京都板橋区=が 10日、岡山市宇野小学校でイラクの子どもの現状について授業をした。

宮瀬さんは昨年末から1月上旬にかけ、イラクのバグダッドを訪問。郊外にある小学校にノートや 鉛筆などを支援し、宇野小の児童らが描いた絵や手紙も届けた。

2時間目の授業。6年生の児童約160人を前に、スライドで現地の写真を見せながら、 戦争による混乱で十分な教育を受けられないイラクの子どもたちの現状を語った。
現地で自衛のために身に着けていた防弾チョッキを実際に男児に着てもらい、 「テレビやゲームの世界とは違う、現実だという事をわかってほしい」。現地の子が描いたイラクと日本の国旗 が並んだ絵なども紹介。

最後に「イラクの子どもたちは、厳しい現実の中でも夢を持って生きている。みんなも、やりたい事を見つけて前に進んでください」と呼びかけた。

3時間目は6年D組で質問を受けた。「平和ってどういう事ですか」という児童の問いかけに、宮瀬さんは 「普通にご飯が食べられる当たり前の事が、かけがえの無いことだと気付くことが大切」と答えた。渡辺凌太君(12)は「いつかイラクの子どもたちと 会って、今は大変だけど、きっといい日が来るよと励ましてあげたい」と話していた。

2004年2月27日~2004年3月3日 テレビ大阪系 番組「ボランティア21」(9:30~)にて風の会が紹介され会長の宮瀬英治が出演しました

詳細はこちらから

2002年1月30日 朝日新聞

▼宮瀬英治のアフガニスタンにおける活動が紹介されました。記事はこちらからどうぞ

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アフガン難民のキャンプ訪問 新たな支援探る   粗末な土の家、粉ミルクに殺到するやせ細った子どもの暗い目ー。
国際協力団体「風の会」代表の宮瀬英治さん(24)=岡山市=がパキスタンで見てきたアフガニスタンの難民の現実は、想像よりもはるかに厳しかった。

昨年末からペシャワール近郊の難民キャンプや孤児院5ヵ所を訪問し、食糧や文房具を提供したが、「砂漠に水を注ぐよう」と無力感が残った。しかし「自分たちができる次を考えたい」と支援の具体化を練っている。

会は00年4月、カンボジア支援のために早大の学生らが結成。宮瀬さんは就職で岡山市に来た。アフガン難民の支援策を探るため、年末年始の休暇を利用して現地を訪れた。実情に合った必要物資調達するため、支援物資は現地でポケットマネー約15万円分を購入した。 最もひどかったのは、アフガン国境近くの難民キャンプ。ペシャワールから通訳兼運転手と兵士を雇い、カイバル峠を越えて向かった。

土の家から殺到してくるやせた難民たち。厳しい寒さながら、みな汚れた薄着だった。運んでいた粉ミルク200箱は全く数が足りない。幼い順に渡すことにしたが、子どもたちは弟を抱き、妹の手を引いて集まってきた。生きるため懸命な姿が印象に残った。物資をもって再訪問しようとしたが、治安上、ペシャワール市外にでることを許されなかった。 難民の一人から「外部から初めて来た人」と言われた。国際社会は東京で開いたアフガン復興支援会議で総額6千億円以上の支援を決めたが、宮瀬さんは「あのキャンプは、存在すら把握されていない。本当に必要な所に支援は届くのだろうか」と心配する。

孤児院兼学校には全児童1500名分のノート、鉛筆、消しゴム、小型黒板など文房具セットと小麦1トンを贈り、現地で活動する非政府組織も視察してきた。宮瀬さんは「私たちのような小さな会は金も技術もないけど、必ずできることがある」と決意を新たにしている。会は、活動の協力者を募っている。

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英語は未来への扉を開く「マスターキー」だ。カンボジアで、こんな言葉を耳にする。 1日2ドル以下で生活する人が8割近い国で、貧しさから抜け出し、自立する早道は英語を身につけること。 公教育が十分でない中、NGO(非政府組織)などは英語教育を支援の柱の一つに捉える。
                ~中略~

北西部の街バッタンバン。 ノリア寺院の中になる孤児院では親を亡くした子どもや、貧困などで親元を離れた43人が暮らす。 日本のNGO「風の会」(宮瀬英治会長)の支援で02年6月、英語教育が始まった。

18~20歳の女性6人が高校に通いながら、年下の子どもの世話や食事の用意をし、毎晩1時間の英語の授業に臨む。 下級生の子どもらも「英語を学びたい」と次々に言い出した。 多くの子どもらは孤児院に来るまで学校に通えず、クメール語の読み書きさえできなかった。 「英語を通じ、子どもらの心に希望の連鎖が生まれるように感じる」。 同院のバンサベット僧侶(34)は感慨深げだ。